インターネット調教師

人間関係というのは難しい。

出来るだけ穏便にと思っているが、前の職場で一緒だった女性にはmixiで実名を挙げられて「私を精神的に追い詰めた女」「欝になった原因」「パワハラで私を退職にまで追い込んだ」等々をいまだに声高に叫ばれている。
彼女は私が辞める事を知らなかったので、自ら辞職を願い出て、私が先に退職したらそれを取りやめた。
そのときに上司に対して私が彼女をいかに差別的に扱い、精神的に追い詰め、職場権限を持って強制的な嫌がらせを尽くしたかを報告したのだが、結局証拠がないので話は立ち消えになり、本来なら訴訟を起こされて会社に追い詰められて苦しむ私が見れなかった。
その情熱は会社を辞めてもう1年以上たつが冷めることなく憎しみ続けている。

きっと彼女の生活が彼女の満足する楽しいものにならない限り、私は憎まれ糾弾され続けるのだろう。
でもそんな日は間違いなく来ないので、彼女が次のターゲットを見つけるまで私は糾弾され続ける事になる。
親切な振りをした野次馬が私に彼女の「凶行」を報告してくれるが、それを相手にすることも、もちろん当のご本人を相手にするつもりはない。
まあ、こうやってBlogのネタにはなるけれども。それ以上にはならない。何の得もないし。

さて、ここで問題。

この私を糾弾している彼女はどうしてここまでやってしまうのか?
それはもちろん彼女自身の性格もあると思う。
でも、私が知る彼女という人間は結構気が小さい。ここまで行動するかな?というのが正直な感想。
mixiでぶちまける程度はしても、会社に自分の非を棚上げしてまで人を告発するような人間かというと、ちょっと考えづらい。
しかし、彼女は不発とはいえ見事上司に告発し、社内調査をさせるまでの行動をとった。

この行動力がどこから出るのかだけはとても気になったので、一回だけ彼女のmixiの記事を見たことがある。
そうしたらその原因は一発でわかった。彼女には優秀な調教師ついていた。
mixiで記事を書くたびに彼女を慰め、あなたが悪いわけじゃない、悪いのは相手だ、苦しみを分かち合おう、私たちは同じ境遇で苦しんでる、一緒にがんばろうと延々と書き続ける調教師たちが。

人間は他人をコントロールしたがる。

アドバイスなんてのはその際たるもので、自分の意見やアドバイスが聞き入れられないと途端に不満を言う人がいる。
良かれと思ってやってるだけにさらにタチが悪く、それを恩に着せて詰ってまでくる素晴らしさだ。
ネット上では特にその傾向が強いと思う。
睡眠と体力の回復で回避できるだろう疲労から来る精神的不安を鬱「病」に仕立て上げ、いかに偽れば向精神薬を処方してもらえるかをアドバイスし、その薬におぼれてゆく様子を温かく見守り、その状態の異常さをたくみに本人から隠し通し、同じ苦しみを分かち合う仲間として心強く依存し破壊しつくす存在。

こんなやり取りをみたことはないだろうか?

AとBはネット上でのみ面識はある女同士。
互いのBlogにコメントを残しあっている。

A「最近、ちょっと疲れ気味で、職場でもいらいらする事が多い。職場の人とも気が合わない。なんだか嫌がらせをされている気がする」
B『それはひどいね!Aさんは何も悪くないじゃん!それってAさんが落ち込む必要ないよ!』

この段階でBはAの背後関係を何も知らないで発言している。
本人は書かないが、Aは職場で自分の怠慢から来るミスで注意を受ける。同じ職場の人たちにも彼女が他の人間に陰口を言っていたのがバレて疎遠気味にされている。残業が続き疲れが溜まっているのは周囲の人間も同じで、しかもその残業の原因はAのミスだ。Aはミスをフォローしてもらっているにもかかわらず、誰にも謝罪も礼も言わず、己の環境の不満ばかりを職場でも口にしていた。
しかし、Bはそんな事は知らない。嫌がらせされている気がするという発言の「嫌がらせ」に過敏に飛びついただけのようだ。

A「Bさんありがとう。でももうちょっとがんばってみる。私が悪いところもあるのかなって思うから」
B『Aさんすごい!ホントがんばってるのに、職場の人たちはひどいよ!私はAさんがすごくがんばってるの知ってるから応援するよ!』

Aのがんばっているは自己申告だ。本人はがんばっているつもりかもしれないが、職場での態度は変わらず、周囲の人間から努力は認められていない。

A「やっぱりダメかも。疲れちゃった。がんばっても職場に意地の悪いC先輩って人がいて、どうしても何も認めてもらえない。もうここで働いてるの限界かも…」
B『Aさん、ちょっと休んだほうがいいかも。がんばりすぎちゃうと心が折れちゃうよ。Aさんの努力とかここでずっと聞いてたからすごくわかるよ。無理しないで!でもCって人もひどいね。お局様には私も苦しめられたからすごくわかるよ!」

ネット上ではとても簡単に愚痴がこぼせて、その愚痴を聞いてもらって慰めてもらうのはとても気持ちがいい。
現実の自分を知る人と違い、全体が見渡せているわけではないので、とても気軽に慰める事ができる。
Aさん本人の性格もほんの少しかかれた日記から察するだけの、しかも自己申告の性格だ。
Bさん自身も全てをさらけ出しているわけじゃない。

このあとBはAを慰め励まし続け、実際に何度か会ってお茶したりして数時間をすごす事になる。
しかし、実際に会ったとはいっても本の数時間、しかもネットで話してた愚痴の延長しか話をしていない。
本当にお互いを知っているとは言いがたい関係だが、現実にも実際会っているというリアリズムがAのBに対する信頼度を上げる。

この瞬間、【調教師B】は素敵な【奴隷候補A】を手に入れたのだ。

Aが候補から奴隷になるのにそんなに時間は要らないだろう。
あとはネット上でのやり取りで十分にAを落とし込む事ができる。
昔は出会い系女を食うテクニックだったが、今では自分の支配下においてコントロールできる素敵な奴隷を手に入れて、人を操れる【人より優れた私】になるテクニックだ。
優れたとは自覚してないかな? 優しいでも親切でも一生懸命でもいいや。
とにかくそれが自分を肯定する材料になるわけだ。

しかもAにぶらさがる【調教師様】は一人じゃない。
ものすごい場合は10人近い【調教師様】がぶら下がり、数ヵ月後には見事に仕上げられてしまう。

このAさんの場合、本当に良い友人がいれば、最初の段階でまずゆっくり休む事を進言し、体調を整えさせつつ根掘り葉掘り話を聞きだして背後の状況を悟り、調子のいいときにでも彼女を少し叱り、自分も悪いんだからどうやったらみんなと上手く行くかを話し合うかもしれない。
そうすれば、Aさんは奴隷にもならずにすんだかもしれない。
「かもしれない」というのは性格というものは病気と違って簡単に直るようなものではないので、人の話を聞かない女だった場合、現実にいる【調教師様】にぶら下がられて仕上げられてしまうだろう。
【調教師様】は現実にもかなりの数がいるからね。

【調教師様】は本当にたくさんいると思う。自覚のあるタチが悪い連中から、無自覚で善意だと信じきっている【調教師様】まで本当にたくさん。それは男にも女にも。
ただ、ネット上ではそれが安易に行われ、とても効果的あるように思う。

私はTwitterが楽しいのは愚痴ってもべちゃべちゃと慰めレスがつかないところだと常々思っている。
嫌な言い方をすると何も知らない人間に適当なこと言われたくないのであまり込み入った話はネット上で発言する事はない。する必要もないしね。
確かに慰めは凹んだときに浮上するきっかけにはなるが、それを逆手に取られて【調教師様】にぶら下がられないようにするには大変な自制心が必要となってくる。
会話は対等であるから楽しいのであって、意識的にも無意識にも上下をつけられると鬱陶しいのだ。


いつまでも楽しいTwitterだといいなぁと思いつつ、【調教師候補者】を見つけてはブロックする毎日だ。